日本が誇る孤高の天才「伊藤若冲」がスマホケースで甦る?!

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伊藤若冲トップ画像

こんにちは。バルーンスタイル編集部のJです。

伊藤若冲(じゃくちゅう)って聞いたことがありますか?

「あっ、どこかで聞いたことがある」という人もいるかもしれません。2016は生誕300年ということで、伊藤若冲作品の展覧会が各地で行われています。

それに合わせてか、伊藤若冲の作品がをモチーフにしたスマホアクセサリーも発売されており、にわかに業界を賑わせているのです。

今回は、伊藤若冲について、彼の生涯や作品の魅力についてお伝えしたいと思います。

江戸中期の天才画家!

伊藤若冲は、近世日本の画家の一人です。正徳6年2月8日(西暦1716年3月1日)生まれで、寛政12年9月10日(西暦1800年10月27日)85歳で亡くなりました。

時代は江戸時代の中期にあたりますので、当時としてはかなり長生きだったようです。

伊藤若冲は、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生を受けます。青物問屋とは、現在でいう市場を運営する業者です。野菜などの生鮮食品の生産者は、若冲の営む青物問屋などを通して、小売店(八百屋)に商品を卸していました。

「枡屋」は錦小路を代表する青物問屋。代々の当主の名「源左衛門」から「枡源」とも呼ばれていました。

若かりし頃の若冲は困ったひと?!

23歳のとき、若冲は父親の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名します。

しかし、若冲は商売には熱心ではありません。それどころか、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯妻も娶ることはなかったそうです。

商人時代のエピソードとしては、家業を放棄して2年間丹波の山奥に隠棲してしまったというものがあります。周りからすると、かなり困った人だったようですね。

画に目覚めたのは隠居してから

そんな若冲が心血を注いだのが、画です。

40歳のとき、家督を3歳下の弟・白歳(宋巌)に譲ります。名も「茂右衛門」と改めて、早々に隠居しました。そして本格的に絵師としての道を歩み出しました。

40歳は当時としては初老ともいえる年齢。ようやくこの歳になって、無気力な男が好きなものを発見したというところでしょうか。

現代だったら、引きこもりのニートと言われていたかもしれません(笑)。

伊藤若冲の魅力

そんな遅咲きの若冲ですが、画は写実と想像を巧みに融合させたものになっています。こんなものが江戸時代に描かれていたなんて、ちょっと信じられません。

雪中雄鶏図

『雪中雄鶏図』参考サイト

梅花皓月図(動植綵絵)

『梅花皓月図(動植綵絵)』参考サイト

これは、青物問屋の息子ならではと言えるかもしれません。野菜を描いています。

果蔬涅槃図

『果蔬涅槃図』参考サイト

若冲がこのような画を描けた背景には、一つの流派に固執せず、様々画風を取り入れていたことがあります。

当初は、狩野派の下で画を学びました。それだけではなく、中国の宋・元時代の画にも学んで、積極的に模写したと言われています。

また、懇意にしていた相国寺の大典和尚を通じて、中国画や禅宗の画を学んでいたようです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。伊藤若冲の作品が魅力的なのは言うまでもありませんが、彼の生き方も興味深いですね。

私バイヤーJは、伊藤若冲に興味を持ったみなさんのために、若冲のスマホケースを探してきました。

若冲が気になったあなたなら、きっと欲しくなりますよ。

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